●社会観・世界観
社会集団・組織には、2つのタイプがあるのではないかと、この頃よく思う。
一つは、ツリー型、社会はピラミッドのようで、偉い人が頂点にいて、庶民は土台。
こういう様に認識する人は、人は何で生きるか? 理想の政治とは? わが社の在り方? そういう哲学的・根源的な事には関心がない。そして、ツリーの中での自己の位置やその上昇の方法に関心のほとんどは向かう。
もう一つは、ネットワーク型、横一線に並ぶ平等な人々は、哲学的・根源的な事に関心が向かい、地位、名誉、金銭などに関心が薄い。困っている人を助けるのにいい方法などを常に考えているような生き方の人。
●ツリー型社会
軍隊というのは、典型的なツリー構造だ。考えるのは偉い人がして、兵隊は命令に忠実に実行すればいいのだ。殺せと言われれば幼子でも撃つのが優秀な兵士なのだ。
ファシズム化とは、ツリーの完成なんだ。
ユダヤ人を事務的に殺戮し続けた軍人。その行為の意味は考えない。命令に従っただけ。南京大虐殺も、原爆投下したB29の乗員も、多くを拷問した特高などみな同じ、国ではいい人だったのに戦場では人が変わる。命令に服さないと部隊が全滅する。
しかし、祖国防衛のパルチザンは、次に述べるネットワーク型、それでないと侵略者に対抗できない。
警察は、戦前は内務省にあるツリー型。戦後、GHQの民主化(弱体化)政策で、公安委員会に、これは、選挙で選ばれる保安官が治安を守る仕組みがつくられる。しかし、1950年の右旋回で国家警察化、公安部の方が刑事部より重視されるようになる。つまり、犯罪者の逮捕より反体制者の情報収集と摘発が国家警察として重視され、ネットワーク型の自治体警察(選挙で選ぶ公安委員が治安を守る)は、短い夢だった。中学校にあった風紀委員はその名残り。僕の母校では、戦後直後は、弁当泥棒が治安を乱す最大のもので、食べるものがない時代、犯人捜しより予防をみんなで考えた。
企業は、ツリー型の増殖中。発展する企業・団体は、ネットワーク型、自分の会社が好きでみんながよく働く、指令より自治が重視される。
高度成長期の働き蜂と言われた僕の父の世代、戦争に行って助かった命で、日本の復興に励んだのだが、会社や仕事が好きだった。小さな会社がドンドン大きくなっていった。みんな豊かな日本を夢見ていた。
ツリー型だと、愛社心は高まらず、社会状況次第で、没落・倒産を迎える事になる。
東電・NHKは、寡占企業でなかったら、とうに倒産しているだろう2015年の今だ。
コンビニでは、ユーザーの万引きより店員の横領に悩まされている。在庫管理で不明となった商品数をチェックし、バーコードで店員も管理し、消費期限の迫る商品は絶対に店員に下げ渡さない、日づけを偽造され着服されるからだそうだ。
そのように統制して、コンビニは利益を上げている。
道の駅は、それぞれの道の駅が経営主体で連合組織が統一イベントを行う。ネットワーク型だ。やる気のある店員の創意工夫を生かした道の駅は繁盛している。
中央より統制される事はなく、地域性を生かした独自色を求められている。
●ネットワーク型社会
SEALDsは、完璧のネットワークの集合だ。デモを厭う日本社会を分析し、抵抗権行使の実現・発展を目指している、指令なるものは皆無。相談で創意を求める。やる気のある人が自主的に任務を選ぶ。嫌がる人に強制はしない。
だから、彼等は、民主主義はここにあるとコールする。国会を出てデモの側に来たら民主主義が見えるよと、デモの側にデモクラシーがあるよとコールしている。
参加者は、その空気に包まれ、心温められ帰る。居心地がいいのだ。ピラミッドの歯車として言いたい事も言わず我慢する日々を終わらせたいのだ。支配からの解放。(左図 SEALDsワカコさん)
共産党は、ネットワーク的な人が多い。地方議員さんは、上述の道の駅と同じ連合体のようだ。しかし、資本主義社会で弾圧を跳ね返し、抑圧される庶民を開放し暮らしやすくするため、ツリー型構造を見せる事が多くある。軍隊の様なのだ。
書記局は参謀部、委員長は司令官、加入すれば兵士として消耗される。そういう反発が、共産党アレルギーをうみだす原因でないかと僕は思っている。
最近、共産党も清水忠史議員・池内さおり議員と個性的な人が増えてきた。
皆同じように話す共産党から自分の言葉で話す変貌を遂げつつある。楽しみだ。
国民連合政府と日本共産党を語る(滋賀にて)~清水忠史衆議院議員(日本共産党)
http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/34353587.html
戦争法案廃案に 池内さおり議員訴え
http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/34070850.html
●資本主義社会
資本主義社会は、庶民を搾取し利益を支配層に集めるため、どうしても集権型社会構造となる。そして人々は、息が詰まり、ストレスをためる。
それからの解放が自由なのだ。リバティfrom大勢順応。現代日本の学校からイジメ問題がなくならない。まるで、大日本帝国の侵略軍の様だ。
息をひそめ目立たぬようにし絶望していた人が、SEALDsに出会い自由を得る。そして、ネットワークをひろげ友をつくる充実感を味わう。だから、ママの会、学者の会、高校生、ミドルズ、今後も増殖を続けるだろう。
江戸時代、歩く事しか移動の方法がなかった。百姓一揆で首謀者となり処刑を覚悟した農民が、この世の納めに集まる寺院があったそうで、そこで、ネットワークが形成されていたそうである。FBやTwitterの今、人々はつながりやすい。
コミュニズムは、本来は、コミュニティ・コミューン(共同体)を大切にしようとする思想。ツリー型(集権型)社会より、ネットワーク型(分権型)に変革し個を尊重する社会をつくろうとするのが共産主義。日本共産党が、その名前を変えないのは、そのためだ。(日本共産党はツリー型の組織です。2018.12.28加筆)
アイヌは素晴らしい意味なのに、シャモ(倭人)によって厭むべきものに変えられてしまった。だから、ウタリ(同胞)と呼ぶようにした。けど、差別は解消されない。
キング牧師たちは、ブラックisビューティフルと主張した。公民権運動は偉大な足跡を人類に残した。SEALDsは、それを受け継ごうとしている。(2015.11.1)
●SEALDs解散の後
SEALDsは解散し跡形もなくなったわけではない。台湾・香港の若者と連帯し若者が生きにくくなっている資本主義体制の中国際連帯を求め、メンバーの多くが、更にスケールアップして活動している。
(右図 SEALDs紅子さん・英国ガーディアン紙より)
彼らの唱えた戦争法を「絶対に止める」「本当に止める」「自分の言葉で語ろう」は、ツリー型を脱却し、いきずまったこの時代の閉塞を打開していこうという現れであった。
彼らは本当に勝ち「世界中のすべての人が生きていてよかった」と言えるような時代を切り拓く可能性だ。スケジュール闘争やアリバイ証明・自己満足のための闘争ではないのだ。
キング牧師は、「アイ ハブ ア ドリーム」と言った。ジョン・レノンは「君は夢想家と言うかもしれないが・・・」と「世界中のすべての人が生きていてよかった」と言えるような時代を創ろうとする夢を見る事がすべての始まりであり、人類の未来を明るくするものなのだ。(2016.11.18)