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執筆者の写真yf acalulia

滋賀の被爆者と「核兵器禁止条約」


1980年、教えていた高校二年生のSさんの父が自殺された。

10歳でヒロシマで被爆し、家族を次々失い、ご自身も後遺症に苦しみ、爆心地からの距離に基ずく被爆者行政のため保障は不十分で冷たい対応であった。それらを苦に心身ともの苦による死であった。

Sさんは、請われるまま県内各地で父の無念を語った。当時の新聞には「冷たい被爆者行政に抗議の自殺」と報道された。

当時の滋賀県内の被爆者は、約800人(2017年3月末で330人)。滋賀県民で広島・長崎に学校・労働・兵役で行っていた人、縁をたより避難した人達だ。全国で164.621人(平均年齢81.41歳)。

被爆者が核廃絶を願い、自分があった苦しみを繰り返させたくないというのは当然の事だ。日本国政府に求む。すみやかに「核兵器禁止条約」に署名・批准せよ。

知らない事は罪である。知らせようとしないのは、もっと大きな罪である。

被団協HP 被爆者からあなたへ 私の訴え(2005年8月 被爆60年事業)

 http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/img/057myappealjapanese.pdf


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